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ファイトプラズマが及ぼす私たちの暮らしへの影響

ファイトプラズマが及ぼす私たちの暮らしへの影響

ファイトプラズマは日本で初めて発見され、現在は植物病を引き起こす病因の1つとして広く知られるようになりました。ファイトプラズマ研究が日本で進んだ背景には、歴史的な産業の興隆が深く関わっています。今回はファイトプラズマ発見の歴史と、私たちの社会に及ぼしている影響を考えてみたいと思います。

1. ファイトプラズマ研究の歴史について

ファイトプラズマは昆虫を介して植物に侵入し、萎縮、黄化、天狗巣、叢生など様々な異常を引き起こします。このような症状自体は昔から知られていましたが、その原因となるのがファイトプラズマであるということが解明されたのはここ数十年の出来事です。従ってあまり聞きなれない言葉かもしれませんが、とても多くの植物に感染して問題を起こすことが分かっています。ではファイトプラズマはどのようなところで問題となっているのでしょうか。
ファイトプラズマの事を詳しく見る前に、まずは少しその発見の歴史から振り返ってみたいと思います。

1-1. 絹とファイトプラズマについて

美しい絹の着物は日本の大切な文化の一つではないでしょうか。昔から絹は様々な国で重宝されており、シルクロードという名前もあるように交易品としても大切でした。日本では江戸末期から明治時代にかけ、各地で養蚕を奨励し、質の高い生糸を自国で生産するように努めました。その結果、生糸は当時の重要な輸出品目となりました。またこの時代には機械化も進み、1872年に建設された富岡製糸場(群馬県富岡市)は歴史上重要な建物として世界文化遺産に登録されています。
(蚕糸について詳しく知りたい方は農林水産省Webサイトをご参照ください)

図1:着物の例

さて、生糸を産出するカイコを育てるには、餌である桑の栽培が必須になります。この桑の生産を悩ませたのがファイトプラズマです。生糸の需要の高まりよって桑も大量に必要となったのですが、クワ萎縮病が蔓延して収穫量が落ちるといったことが起こり、養蚕業が打撃を受けました。当時はファイトプラズマ自体が発見されておらず、原因不明の病気としてウイルスなど色々な要因が考えられていましたが、その答えが分かるのは光学顕微鏡よりも小さな対象を観察できる電子顕微鏡が出てきてからでした。なぜなら、微生物の中でも特に小さいものが正体だったからです。

1-2. ミクロの世界における科学の進歩

この発見は、1967年に東京大学の土居養二先生によってなされました。電子顕微鏡で見た姿は、ヒトや動物に肺炎などを引き起こすマイコプラズマに似ていたため、当初はマイコプラズマ(よう)微生物 (MLO : mycoplasma-like organism) と名付けられました。しかしその後さらに生物学が著しい進歩を遂げ、分子生物学という分野の手法が発達してくると、生物の設計図といわれるDNAを解読することが可能になりました。ヒトゲノム計画という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、同様にこのマイコプラズマ(よう)微生物のゲノム情報は、東京大学の難波成任教授らのグループによって解読が進められ、それらを基にした分類が可能となりました。
その結果、見た目の特徴で”マイコプラズマ(よう)”と名付けられていたものの、実は分類としては別の系統であるということが分かり、1994年に新しく独立して「ファイトプラズマ」という名称になりました。
従って、ファイトプラズマは近年の科学技術の進歩とともにやっとその詳細が知られるようになった植物病原性微生物ということになります。

2. ファイトプラズマの特徴と病徴

ファイトプラズマの研究が近年まで進まなかった要因として、一般的な微生物、例えば大腸菌や当時知られていた他の植物病原細菌などと比べて小さかったことの他に、培養が難しい性質を持っていたということが挙げられます。
前者は電子顕微鏡の出現と、それを用いた研究者の注意深い観察によって解決されましたが、培養ができないという点は、発見以降のファイトプラズマの研究を難しくした点でした。
通常微生物の研究においては、栄養豊富な条件(このような微生物を増やすための栄養に富んだ液体や固体を培地といいます)で対象の微生物のみを十分増殖させてから様々な調査を行います。これが培養できないとなると、研究を進めるのに必要となる十分な量が確保できないため、困難になります。
これも徐々に明らかになったことですが、培養が難しいのはファイトプラズマがちょっと変わった生存戦略のもと、進化を遂げてきた微生物だということが関係していました。即ち、宿主に寄生して生きるのに特化した遺伝子のみを残し、通常単体で生存するために必要とされる遺伝子の多くを切り捨ててしまった微生物であるということが分かってきました。

2-1. 植物における所在部位

植物には根から水を運ぶ導管からなる木部と、葉で光合成した栄養分を運ぶ篩管からなる篩部がありますが、ファイトプラズマは植物の篩部でのみ増殖し、そこで必要な物質を吸収しながら増殖して様々な影響を及ぼします。感染した植物体が黄化などを示して衰弱するのは、ファイトプラズマが栄養を奪っていることに起因しています。また増殖したファイトプラズマは、昆虫を介して別の植物に移動する機会を窺っています。媒介する昆虫は植物が合成した栄養分を吸うため、篩部に口針を突き刺して吸汁を行います。従ってファイトプラズマが昆虫によって別の宿主に運んでもらうためには、篩部に存在している必要があるというわけです。叢生や天狗巣などの形態異常を宿主に引き起こすのは、媒介昆虫が好む若い組織を増やすことで、吸汁による移動のチャンスを増やしているものと考えられています。

2-2. 媒介昆虫における挙動

ヒトの場合、蚊が口針を皮膚に突き刺すことで病気を媒介することは良く知られています。一方植物に感染するファイトプラズマの場合は、主にセミのような口針を持つヨコバイ(カメムシ目ヨコバイ科)やウンカ(カメムシ目ヨコバイ亜目)などが媒介します。植物の場合は皮膚より堅い細胞壁をもっているため、それを貫く口針を持った昆虫ということになります。
感染植物への吸汁によって口針から昆虫体内に入ると、消化管、筋肉、唾腺などで増殖して全身に広がり、最終的に別の健全植物を吸汁する際に唾液を通じて感染させることになります。昆虫の体内においては、ファイトプラズマは寄生ではなく、共生関係にあります。昆虫によって媒介されるということは、昆虫の中にも適応する必要がありますし、植物の中でも適応する必要があることになります。

2-3. エネルギー合成装置の無い生命?

興味深いことに、これらの「宿主」に栄養供給などを頼ってしまうために、ファイトプラズマ自身は通常生きていくのに必須と考えられている多くの遺伝子を持っていません。退行的進化によって失われてしまったのです。任せられるところは寄生先に頼ってしまい、自身は寄生に最適化するための仕組みに注力して進化していったと考えられています。そのため、「怠け者の細菌」とも言われます。先に単独で培養することが難しいというのは、このような理由があったからです。

3. ファイトプラズマ病と私たちの生活の関わり

さて、ファイトプラズマは私たちの身の回りでどのように関わるのでしょうか。ファイトプラズマは様々な植物(1000種類以上といわれる)に感染し、萎縮、黄化、叢生、天狗巣、葉化、緑化などの症状を引き起こすとされています。先にご紹介した養蚕業におけるクワ萎縮病のように、他にも大きな被害を与えた事例をいくつかご紹介したいと思います。

3-1. サツマイモ天狗巣病

2021年現在、サツマイモ基腐病が大きな問題となっていますが、終戦後の食糧難だった時代に、沖縄でファイトプラズマがサツマイモに壊滅的なダメージを与えたことがありました。サツマイモ天狗巣病が沖縄諸島全域に広がり、サツマイモ農家はサトウキビ栽培に転向を余儀なくされたそうです。

3-2. キリ天狗巣病

キリ(桐)は軽い、湿気や乾燥による伸縮が小さい、熱伝導性が小さい(燃えにくい)などの特徴があり、高級木材原料としてたんすや楽器などに利用されています。日本では桐は特用林産物という区分(一般に用いる木材を除き、森林原野を起源とする生産物の総称)になりますが、国内生産量は最盛期から大きく減少しています。以前と比べ需要が小さくなったこともありますが、輸入の桐が増えたことと、キリ天狗巣病が生産者を悩ませたことも一因です。樹木は成長するのに年月がかかるのに、病気になってしまうと商品としての価値が損なわれてしまうのです。

図2:桐のタンスと桐材の国内生産量の減少(出典:農林水産省・特用林産物生産統計調査(令和2年)をもとに作成)

3-3. ココヤシ立枯病

植物病理学者のパプアニューギニア奮闘記でも触れていますが、ココヤシ立枯病(Bogia coconut syndrome:BCS)が広がり、ココヤシに大きな被害が出ました。ココヤシの果実はココナッツとして有名ですが、中の水分は飲料として親しまれていますし、胚乳は脂肪分を多く含み、圧搾するとヤシ油が得られますので、現地の住民の収入源としても大切な作物です。開発途上国ではプランテーションのように、単一の植物が大規模に栽培されていることがありますが、このような条件では多様性に欠けるため、一度病気が発生すると一気に広がってしまうという問題点があります。

図3:ココヤシが立ち枯れになっている様子

これらの例の他にも、ファイトプラズマは1000種類以上の植物に感染すると言われています。最近では国内でトマトにおいてファイトプラズマが原因の萎黄病が発生したという例がありますし、海外では東南アジアにおいてサトウキビ栽培や、ヨーロッパのリンゴ栽培などでも被害が出ています。
また、植物防疫所のWebサイトに掲載されている病害虫情報にも、過去にファイトプラズマについて書かれた記事がありますので、ご興味がある方はそちらもご参照ください。

■植物防疫所病害虫情報 No.99(2013年3月15日)
【PDF】ファイトプラズマの被害と検出方法

4. 最後に

歴史を振り返っても、アイルランドのジャガイモ飢饉、セイロン島のコーヒーさび病など、植物病が人類に大きな影響を与えた事件がありました。当時はなすすべがありませんでしたが、ミクロの世界を知ることができる技術が発達してから、研究者たちのたゆまぬ努力で次々に原因が明らかにされてきました。
現在の私たちの身の回りには、食糧や木材製品など、様々な植物由来のものが溢れています。グローバルサプライチェーンと言われるように、ある国の原料が世界中に流通するといった時代になってきています。従って特定の地域に大規模な植物病が発生すると、各国に影響が出るといったことが起こり得ます。
植物病の対策には原因の特定がまず第一歩ですので、操作が簡単な検査キットで早期発見、早期対策に繋がればと願っております。そしてこのような植物病の対策を支援していくことも、SDGsに繋がる大切なことではないかと考えています。
ファイトプラズマの事を通じて、身の回りに起こっている植物病に対して少し関心を持つきっかけになれば幸いです。

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参考資料
1. 創造する破壊者 ファイトプラズマ / 難波成任 / 東京大学出版会
2. アグリバイオ Nov. 2019 vol.3 No.12 / 北隆館
3. クワ萎縮病、ジャガイモてんぐ巣病、Aster yellows感染ペチュニアならびにキリてんぐ巣病の罹病茎葉師部に見出されたMycoplasma様(あるいはPLT様)微生物について / 土居養二 他 / 日植病報33:259~266 (1967)
4. 農林水産省Webサイト 蚕糸
https://www.maff.go.jp/j/seisan/tokusan/sannshi.html
5. 農林水産省Webサイト 特用林産物生産統計調査
https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/tokuyo_rinsan/
6. 林野庁Webサイト 特用林産物の生産動向
https://www.rinya.maff.go.jp/j/tokuyou/tokusan/index.html
7. 植物防疫所Webサイト 病害虫情報
https://www.maff.go.jp/pps/j/guidance/pestinfo/index.html